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記事に猟奇的、同性愛的、表現が含まれることがあります。

一団の長

 眠れない。わたしは隣で寝息をたてている双子の兄に毛布をかけ直すと、音を立てぬよう寝台から降りた。毛布の温もりが体からひいて、身震いをする。兄とわたしの天幕を出て、月を眺める。あたりは暗く、ほかにめぼしいものもないからだ。わたしは陣術で火をつけたランタンを持って、目的の場所へと向かった。
 まわりにはいくつもの天幕が張られている。自分の一族の天幕だ。わたしたちは移動が多いので簡単に組み立てられる天幕を常に持ち歩いている。アコーレ家の若者ははそれなりに成長したら自分で天幕を貼らなければならない。今夜は兄のオフリスと時々言い合いながら組み立てていた。わたしたちは些細なことですぐ言い合いになる。わたしは兄を嫌っているわけではないが、あちらが先につっかかってくるのだ。これにはどうしようもない。
 目の前に、刺繍の施された布地を使った年季の入った天幕が見えた。中の灯りが天幕をぼんやりと明るく照らしている。これは長の天幕だ。わたしは長がまだ起きていることを確かめると、声をかけた。
「長、お話があります。トリリネです」
 しばらくして、中から「おはいり」と少し上ずった声が聞こえてきた。わたしは天幕の入口の紐をとき、大きく開かずにするりと滑り込むように入る。目の前には机に手をつく若い長がこちらにむかって笑みを投げかけている。
「トリリネ、もう寝る時間だよ。眠れないのか?」
 長、マルジネス・アコーレは若くして陣術の才能を認められ、一族の支持を受け長となった。わたしたち双子の師でもある。しかし、総統者としての才はいまいちなようで老者たちの声を聞くので精一杯というところだ。
「そんなところです」
 わたしは長の目を見据えて言った。数時間前、任務遂行に同行していたわたしは普段大人たちが話したがらない裏の依頼の光景を目の当たりにした。泣き叫ぶ母子、妻子を救えず絶望に身を委ねた夫…いくら依頼とは言えあまりにも酷い光景だった。わたしはせめて母子だけでも救ってあげてほしいと、長に抗議しに来たのだ。
「ああ…酷いところを見せてしまったね…でもきみは将来、ああいうことをして一族を養っていかなければならないんだ」長は暗い顔をしながら、棚から木製のマグを取り出した。「…母子はもう依頼主のところだ。いまさら取り返すわけにもいかない」
 マグをわたしの前に置き、湯気のでるポットから茶を注ぐ。甘いような香りがマグから立ち上る。
「では、父親は…」
 わたしがすべて言い切る前に長は話した。
「…男はわたしが確保しているよ、かれには今後の陣術の発展に協力してもらう」
 長は自分のマグを両手で包み込むようにつかむ。かなり力が入ってるようで重なっている手の皮膚が白んでいる。
「どのみちあの男はもう妻子を救えはしない、あれから持ち直すこともできない…」
 長は湯気の立つマグに視線を落としたままつぶやいた。わたしは何も言えなかった。長の態度がすべてを物語っていた。
「すまないね、こんな話をして。これを飲んだらもう寝なさい。自律神経を安定させる作用があるんだ」
 長はいつもの柔らかい表情をわたしに見せた。わたしはマグの中身をすすった。口の中いっぱいに甘い匂いが広がるのだが、味は舌先がしびれるほど苦かった。わたしが渋い顔をすると長はくすりと笑った。
 「きみにはちょっと早かったかな、砂糖を入れればおいしくなるけど、切らしてるんだよね」長は自分のをすすると、一息ついた。「明日、大きな街の近くに移動するから、オフリスといっしょにおつかいに行ってきてくれ」
 わたしはうなづくと、また甘い香りの茶をすすった。やはり苦い。
 「ふふ、お願いするよ。小さな陣術師さん」
 長の天幕から出て、頭上の月を眺めた。入る前とかわらず冷たく無慈悲に光っている。
 わたしはこれからのことを考えた。わたしが大人になっても、後味の悪い依頼は無くならないのだろう。これから一族の人数も増え、養う数が増えていく。普通の依頼よりも値をはる裏の依頼はやはり優先的にこなされている。わたしが長になったとしても続けなければならないだろう。長になる…?わたしが?…馬鹿みたい。汚い仕事をしている。とても公に言えないことだ。それを生業としている一族の長に…?
 なりたくなんかない。ある日、双子のオフリスはわたしに言った。
「おまえは才能があるから次期頭首になれるんだぞ。すこしはうれしそうな顔をしろよ」
 信じたくない、長にはオフリスがなればいい、わたしとまったく同じだ。わたしは自分が同じ人間を陣術で脅し、殺しをしているところを想像してみたが、胸がむかむかするだけだ。魔力も陣も捨てて、普通の人間になりたいとはじめて思った。