記事に猟奇的、同性愛的、表現が含まれることがあります。

出会い 前編

 簡素な寝台に身を預ける少年は、呪術師見習いの妖怪、レウカドだ。まだ子供の顔つきをした寝顔はその一日の疲れがまるでなかったようだった。間隔の短い寝息と共に、かれの寝室と正反対の壁にある扉からひとの出入りがあった。赤を基調とした派手な衣装の小男が、木でできた扉を軋ませて入ってきた。かれの師匠のガック・グラだった。何かを引きずる音も聞こえる。物音に敏感なレウカドは安らかな睡眠から飛び起き、身を構えた。幽かなランタンの光に照らされた奇抜な師匠の姿を見て安心したが、その怯えたままの目は引きづられているなにかに釘付けだ。
「ごめんねレウカド、起こしてしまったか。あたしだよ」
「…師匠、それ、なに?」
 レウカドの問にガック・グラは片手のそれを持ち上げた。ずるりと音を立て、机の上に打上げられたものは動物の死骸だった。かれはうっと嗚咽を漏らした。
「あんたはこういうの苦手だったね、でもあの子が初めて狩りをしたらしくてね」
「あの子?」
 かれは大きな瞳で師匠の目を覗いた。新しい弟子ができたのかとかれは不安で思わず目線で伝えてしまう。
「あんたよりは古株だよ、あんたより小さいがね。しかし立派なもんだよ」
 そう言った師匠の顔にはいつもと違う、なにかを慈しむような顔で微笑んだ。それにレウカドは心に焦燥を感じた。自分より小さいのに立派な呪術師の弟子が師匠に?それも自分より相当大事にされているようだ。修行をつけてくれているのは自分だけのはずなのに、と。
「会わせてやろうか?」
 ガック・グラは赤いクッションの椅子に腰掛け、煙草をふかしながら言った。もちろん、レウカドはうなづいた。どんなやつか見てやろうと意気込んでいた。

 師匠ガック・グラとベリエラの数ある孤島の森に訪れたレウカドは遮るもののない広大な空と青々と茂る草の感触を靴越しに感じた。かれは抜けるような体に強く自由を感じていた。足元には赤い花をつけたサグヌ草がレウカドの靴に根元を踏まれて倒れていた。
「ごめんよ」
 かれは片足をあげて、砂利と土がむき出している地面へ移動した。うなだれていた花は持ちなおそうと頭を上げた。

 ふたりは森の中へ進んでいった。小動物はもちろん、大きな角を持つ牡鹿がふたりの姿を見、そのしなやかな脚で反対方向に駆けていく。それに見とれていたレウカドは師匠の急な停止に気がつかず、師匠の背でつまづいた。
「レウカド、ここで瞑想しなさい。ひとりでやんなさい。あたしはちょっと野暮用がありますからね」レウカドは顔を青くして師匠に申し立てようとしたが、師匠ガック・グラはそれを無視して続けた。「ここには狼が出ますから注意しなさい。その狼の気配と違う気配に気がついたら、あの子と会わせてやりますよ」
 レウカドはまだ見ぬ兄弟弟子に嫉妬心を駆り立てられたことを思い出し、昨晩のことに顔を赤くした。情けない自分をかれは嫌いだったが、得体の知れない人物に嫉妬するような卑しい自分もまた嫌だった。かれは黙って森の中に座り込み、瞑想をはじめた。師匠はにやりと笑うとその場を後にした。

 森は西から吹く風で新緑を生やした枝を鳴らし、様々な鳥のさえずりがあらゆる方向から聴こえてくる。レウカドはさきほどの卑しい考えを捨てようと瞑想に集中した。時間はいつもよりゆったりと流れ、精神の海は緩やかに波打っている。自分を中心に周りの木々、草花、虫や動物たちの気配を探る。土の中の線虫の気配まで探るように精神を研ぎ澄ませる。
 しばらくして、レウカドの右奥にいた小さなリスの狼狽した気がかれの精神の波を揺らした。リスはなにか自分の不快なものを見つけたらしい。その狼狽はほかの小動物からも伝わってくる。その気は辺りに広がっていき、警戒の色に変わった。そして、レウカドの前方には一頭のはぐれた牝鹿が仲間を探して周りを見渡している。
 すると、かれの背後からとてつもない気がなだれ込んできた。強い殺害衝動を感じるが、殺意ではない、本能がそうさせるような殺気、これは狩りだ。背中を爪で掻かれたような目に見えない感触がかれの背筋を凍らせる。小動物の狼狽はこれが原因だ。だとすると狼にほかないだろう。いまかれの背後にはかれを狙う危険が迫っている。逃げなくては、そう思ったが遅い、じわじわと迫ってくる。ゆっくりだがじっくりと確かに感じる。心臓の鼓動で体が揺さぶられる。かれは相手の耳に届きそうなほど大きな鼓動を押さえつけるように胸をつぶした。自分の鼓動の次は草を踏む足音が聞こえてきた。もうすぐだ。足音は四足歩行の狼のものであったが、多く聞こえるのは一匹だけではないということだ。
 レウカドは頭の中で師匠の言葉を反芻していた。狼と違う気、かれはもう一度周囲の気配を探った。狩りの張り詰めた糸のような気はたしかに背後の狼から感じる。狼は複数いる…もうひとつはかなりの集中力がないとほかの気に混じって消えてしまいそうなほど隠蔽されている。狩りの場数を踏んできた熟年の狼だろうか。そして、もうひとつは乱れすぎていた。気が大きくなったり小さくなったり忙しない気だ。若い狼なのだろうか、いや、それにしては足音がおかしい。
 レウカドがそのことに気がついた途端、近づいてきた狼たちの気は一気に解放された。深い緑の揺れる茂みから白い毛色の狼が二匹、飛び出してくる。レウカドは身構えたが、二匹はかれに気がつかずに通り過ぎて行った。狼らが狙っていたのは、はぐれた牝鹿だった。牝鹿は物音に気が付き、踵を返したがもう遅かった。小さい狼が鹿の背に飛び乗るように噛み付いたように見えたが、狼にしては手足が長く、噛み付いているのではなくしがみついていた。白い毛並みの狼は人間の子供だった。子供は振り落とされまいと牝鹿の首にしがみついている。その手には人の手で作られたであろう、銀に光るナイフが握られていた。ナイフを振りかざし、牝鹿の首に突き刺した。柄を強く握りしめ、獲物が動かなくなるまで離さなかった。片割れの狼それを囲むように回りながら見守っていた。おそらく年寄りのこの狼はそこら辺の狼よりも一回り大きく、毛並みは老人の白髪のようだった。
 人間の子供が動かなくなった獲物の首からナイフを引き抜く。行き場を失っていた鮮血が勢いよく吹き出し、子供の白い右腕とあたりの草を赤く染めた。レウカドはその光景を見て唾を飲んだ。昨晩は吐き気のする動物の死骸を見てもこうは感じなかった。かれは光景を美しいと感じた。自分と同じくらいの子供の白く、日を照り返して月のように冷たい輝きを放つ肌と、触るとまだ暖かく新しい臭いがするであろう鮮血の赤が美しく、お互いの色を引き立て合っていた。張りのある頬に赤い線がはしったように、血が滴り落ちる。かれはそれにみとれていた。すると、半開きだった子供の瞳がこちらに向けられてるのがわかる。目が合った。空の色が後ろから透けているような、抜けるような色の瞳がこちらをまっすぐ見つめていた。レウカドははっと我に返り、自分の膝が地面から離れていることを思い出した。肩から上を茂みから出して子供と狼を見ていたのだ。かれの血の気は音を立てて引いた。