記事に猟奇的、同性愛的、表現が含まれることがあります。

契約 二話

前話
 
 何十年も修理せず朽ちた橋、下の川は猫の背ほどの幅しかない。村に平和が訪れた故に起こした住民の怠惰がこの光景には現れていた。今にも落ちてきそうな橋と呼べるものでは無い残骸の下でかれは待っていた。遠目からは細腰の青年に見えるが、隣にいれば妙齢の美女に見えるだろう。アルビダの如く白い肌を村の神官服に包んだかれは半陰陽の魔術師、加護に愛された者、マトリカリアという二十歳になったばかりの若者だ。

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マトリカリア

 マトリカリアが待つのは、かれの愛しいひと、マトリカリアはそう想っているがあちらはどう想っているのかはわからない。しかし、十四のときから自分の悩みに親身になってくれ、身の回りの不快なものや危険から身を守ってくれたのはそのひとなのだ。最初は親にも打ち明けられない悩みを相談する兄貴分のような存在だったが、いつしか憧れよりも強くなる感情があった。村の者達は皆かれを遠ざけ、なるべく自分と関わらないようにしていた。同級生の視線は痛く感じ、男女問わず自分の触れられたくない身体のことについて性的に興味を持たれ、元老からは持て囃される。だが、そのひとはマトリカリアをそうは扱わなかった。違和感なく友人として接してくれ、共に過ごす時間は周りの目など気にせずにいれた。それからずっと心惹かれるものがあったが、かれはこの関係が心地よいもののまま続けたいと願っていた。相手に伝えることもないだろうと思っていたが、マトリカリアが十八になったときに告げられた言葉は「願わくは、あなたとこの村から出て文字通り一緒になりたい。そのためにはあなたの気持ちを聞いておかなければならない」というそのひとらしい遠回りな表現だったが、かれはとても嬉しかった。もちろん、とマトリカリアは迷いもなくそう応えた。

 今日はその恋人からここに呼び出され、待っていた。婚約の話の続きだろうか、村に出たらどこに住もう、海を渡るのかな、船って乗ったことないな、生活するにあたって家事はどうしたら、僕なにもできないな、子供は何人欲しいのかな、まず子供はできるのかな。などと思慮を巡らしていたマトリカリアの背後から、頭ひとつ分ちがう背丈の人物が忍び寄りかれを抱きすくめた。
「わっ」マトリカリアは心底驚いて体をはねあげた。「シモン!」
「遅くなってすみません」
 そう謝る男はシモン・アンサス、マトリカリアたち神官を護衛する役職につき、その中でも上位についていた。
「ずいぶん待たせたみたいで、体もこんなに冷えきって」マトリカリアの華奢な体を大きな手でまさぐるように撫でる。「さて、どんな話をしましょう」
 マトリカリアからはシモンの顔が見えず、髪を通して相手の吐息を感じるだけだ。それに、体を巡る暖かい体温とかすかなシモンの外套の匂いが漂ってくる。かれはこれだけで心の何かが満たされるのを感じた。
「呼び出したのはそっちじゃないか…」
 かれは途切れ途切れに言葉を繋ぐ、心臓が激しく高鳴るのを相手に悟られないように冷静な言葉を選ぶ。
「あれ?そうでしたっけ」
 シモンはマトリカリアの精霊耳にふっと息をかけると意地の悪そうに笑いかける。かれは小さく声を上げると全身の力が抜けたように感じた。シモンはマトリカリアをお互いに向き合うよう抱き直したが、顔はお互いに見えなかった。シモンはかれの腰に手を回し、きつく抱きしめる。マトリカリアの顔は林檎のように赤くなり、腕を恋人の大きな背に回した。すると、外套に触れた指先から季節の花が苗から生えてしまった。シモンのつけた加護の布地とマトリカリアの加護が暴走し、反応し合ってしまったのだ。あわてて手を離した。
「今夜、わたしの家に来てください。あなたが話したいことについてじっくり話し合いましょう」
 シモンはマトリカリアに婚約したときにプレゼントした蛇を模した銀のイヤーカフが付いている耳の方に囁いた。耳は尖った先まで真っ赤である。シモンにはそれが見えないが、気がついているように笑うと、かれの体を解放して橋の下の闇へと消えていった。
 マトリカリアは体から心地よい温もりがひいたのと同時に心に寂しさが湧いたが、また夜に会えることを楽しみにした。

「昼間の、あれはバレませんでした?」
 よく手入れされた寝具の上で草色の外套に生えた花をむしりながらシモンは独り言のように呟いた。寝具とちょっとした作業机の極端に物の少なく生活感のない殺風景な部屋にはシモンしかいない。
「バレてはいない」
 蚊の鳴くような声がどこからか聞こえた後、外套の裾から赤い舌がちろりと覗く、それから黒い鱗の蜥蜴が顔を出した。シモンの外套の中から、シモンとマトリカリアの密会を密かに聞き耳を立てていたのだ。それを見たシモンは手に持った花弁を蜥蜴の上から降り注ぐ。
「あれがわたしの恋人ですよ」
 黒蜥蜴は落ちた花弁にかじりつきながら首をぶんぶんと降っている。
「素晴らしい魔力だ」
 黒い鱗に引かれた魔力を帯びた赤い模様が赤い目玉と一緒に薄ぼんやりと光る。シモンはシーツに散らばった花弁をまた集めてそれを蝋燭の受け皿にいれ、火で燃やした。緑の目にそれが反射し、火を写し、朱に煌めかせる。
「いまに、あなたの物になりますよ」