記事に猟奇的、同性愛的、表現が含まれることがあります。

出会い 後編

 水色の瞳がブレがなく真っ直ぐこちらを見つめて迫ってくる。その後ろから体格のいい貫禄のある狼がゆったりと近づいてきた。レウカドは震える膝をかばいながら逃げようとしたが、脚はかれの言うことを聞かなかった。
 かれと同じ膚をした子供が速度を上げてこちらへ向かってくる。レウカドは四つん這いになって逃げようとするが、すぐに距離を詰められて飛びかかられた。子供は水色の瞳でレウカドの紫の瞳を睨んだ。背後から白い毛並みの狼がのそりと近づき、かれの顔の近くで牙を剥く。生暖かい鼻息が顔を撫でる。レウカドは恐怖で縮み上がり、死の時を待つしかなかった。
「にんげん!」
 それは犬の鳴き声のように発せられたが、はっきりと意味のある言葉だった。子供は片手を狼に添えなにかを伝えようとしていた。
「そこまで!」
 レウカドの耳に聞き覚えのある声が入る。したほうに首を回すと、深い緑の茂みから不釣り合いな赤と青が見えた。かれの師匠のガック・グラがレウカドたちに駆け寄ってきた。かれはその姿を見て安心し、泣き出してしまった。
「ししょう!」
 弟子であるかれが一番に発したかった言葉が、自分を襲った相手の口から出た。
「レウコトリカ、そこをどきなさい」
 レウカドに馬乗りになっていた子供は言われた通り、そこから退いた。たしかに師匠がレウコトリカと呼んだ、その子供は不思議そうな顔をしながらこちらを見ていた。
「おおレウカドや」道化の見た目をした師がかれに駆け寄る。「泣かなくてもいい、誰もあんたを食べたりしないよ」
 弟子は涙を目一杯にためながら師匠の小柄な体に抱きついた。ガック・グラはかれの背を撫でながら慰める。
「ししょう、だれ?」
 野生児はレウカドを指さしながら首をかしげた。
「あたしの弟子だよ」
「かりの?」
 ガック・グラはレウカドを相手と対面させた。
「この子は、レウコトリカ。あんたの先輩だけど幻術はからっきしよ」
 かれは幻術はからっきし、という言葉を聞いて内心喜んではいたが、レウコトリカを見る師匠の目を見てなんだか複雑な気持ちでいた。
「レウコトリカ、狩りの弟子じゃない。この子はこれからあんたのお兄さんだ」
 レウカドはそれを聞いていままでの人生の中でこれほど驚いたことはなかった。あまりのことに咳き込んだ。レウコトリカのほうは別の意味で理解出来ずきょとんとしている。
「おにいさん、なに?」
 なに?なに?と繰り返しながら、師弟の周りをぐるぐると回っている。回りきってから、レウカドの顔をじっと見つめている。やはりガラス細工のような大きな瞳はかれを魅了し、そこに目線が集中してしまう。すると、あちらはにこりと笑いかけてくれた。笑った顔をみると普通の女の子と変わらない。
「同じ親から生まれた子供を兄弟って言うんだよ。おまえたちには親はいないがあたしが親代わりだからねえ。レウコトリカ、あんた、レウカドお兄ちゃんの言うことをよく聞くんだよ」
 レウコトリカはその言葉を頭の中で反芻しているようだ。しばらくしてから、一緒にいる白い狼を見て言った。
「レウ、かあさん、いる」
 言葉数の足りない彼女の母はどうやら、この老いた雌狼らしい。その狼は地面に腹をつけて落ち着いている。さきほどの獲物を狙う目つきをしていたとは考えられないほど優しい眼でレウコトリカを見ている。
「…そうだね、でもねあんたに言葉を教えたのはこのあたし。人としての親みたいなもんよ、レウカドも同じ」
 ガック・グラはレウコトリカに手を伸ばした。獣のような縮れた髪の毛に指を絡める。レウコトリカはその手に頭をこすりつけた。
「レウカド、あんたはこのやんちゃな妹を育てないといけないよ。だけど、偉そうにしちゃいけない」
 かれは目の前で起こっていることを他人事のように思えてきてふんわりと見ていたが、その言葉で背筋を伸ばした。頭の中はたくさんの疑問で溢れていたが、師匠の顔と妹になった同じアルビダの子の顔を交互に見ていると、不思議とその疑問がなくなっていく。レウカドは静かに頷いた。

 ベリエラの昼は唸るほど暑い、そうなる前に師弟は自分たちの住処へ歩を進める。あたりはどこまでも続く緑で、時折あらゆる獣の声が聞こえてくる。いつもならレウカドは周りの気配に慎重になるのだが、直前にあったことに気をとられてまいってしまっていた。話が終わった狼の母娘は速歩にその場を離れた。かれの妹になるレウコトリカとすこし話しておきたかったが、呆気にとられている間に去られてしまった。また会うことだろうが残念でならない。
「レウコトリカはかわいかったろ」
 彼女のことばかり考えていたのを見透かしたように師匠が言った。
「…はい」
 肩越しにこちらを見やる師匠を見つめてうなずいた。なぜだか恥ずかしい気持ちでいっぱいになる。
「あたりまえだよ、あたしの娘なんだから」
 二人の間に風が吹き抜ける。木々の揺れる音と虫の音がするはずだが、いまはガック・グラの身につけている飾りの音、それは子供の玩具のような音だけがレウカドの耳に入ってくる。
「そんな気はしていました」
 かれは驚きもしなかった。むしろ、その言葉を待っていた。自分の心臓の音まで聞こえてくるような感覚を抑えながら師匠の次の言葉を待つ。
「あの子の母親は狼でも、アルビダでもない。人間だよ」